呼ばれなくてはインドに来てはいけないのか?

インドで働いていると日本人に言うと、恐ろしい偏見や固定観念にぶつかります。もちろん言っている本人には悪気はないのでしょうが、「日本=フジヤマゲイシャ・サムライセップク」的なステロタイプを未だに口にする人が多くて愕然とします。

曰く、「聖なる牛が道に寝ていて交通の妨げになったりしているんでしょ?」(そういう街もありますが、そうでない街もあるんだよ!)

曰く、「料理は全部がカレー味なんだよね?(他の味の料理もありますってば!)」

曰く、「男性はみんなターバン巻いてるんでしょ?(ターバン巻いているのはシィク教徒の人で少数派。あと職場ではムスリムなどの人でも宗教色出さずに日本の会社員みたいにシャツにズボンだったりしますよ)」

曰く、「ダルシムサイババ…(ダルシムいません!ちなみにアフロの人は本物サイババの生まれ変わりを騙るニセモノですから!)」

曰く、「IT大国だって聞くよ?インターネット環境とかもすごいんでしょ?(欧米先進国のアウトソース先としてIT産業が栄えていることと、インド国内のインフラ整備とはまったく別の問題です。ちなみにインフラ整備の遅れはインドの致命的な欠陥です)」

インドと日本の物理的・心理的距離が遠いため、完全に間違っているとは言えないが、一部の情報や事実が誇張されたり、誤ってとらえられて、結果、変なことになっているのだと思います。その中でもっとも害になっていると思うのが、インドに対する過剰なスピリチュアリズム的思い入れ*1。少し昔のヒッピーやらバックパッカーやら「地球の歩き方」文化の名残ですね。

「そんなの個人の趣味だからほっとけば」と言われるかもしれないですが、これがあるから日本人にとってインドがハードルの高い国になってしまっているのだと思うのです。普通の人がなかなか暮らそうと思わない。「お好きな人にはたまらないが、その他の人は敬遠する」「人を選ぶ」国。

なぜか日本でやらないような無茶をインドでやって痛い目に遭う人が後を絶たない(インドが初めての若い女性が空港で一晩ひとりで泊まろうとする、違法なのにチャラスに手を出す、どこからどう見ても衛生上まずいとしか思えない汚い河なのに「聖なる」と言われて泳いで案の定病気になる、など)のもおそらくインドに何か特別なものを期待するあまり、冷静な判断ができなくなっているのではと想像します*2

インドの神秘が貴重な観光資源であるということは否定しませんが、もう少しインドについて現実的な見方をしましょうよ、と提案したいのです*3

現実を知った上で、「なぜインドに来たの?」という問いに対し、「インドに呼ばれたから」というスピリチュアリズム乙な返事をするのではなく、また「会社に言われていやいや駐在員として来た」と言うのでもなく、「仕事をする国として積極的にインドを選んだ」「働きがいのある仕事があるからインドに来た」という人が増えればいいなあと自分は思っています。

*1:日本人だけが思い入れているわけではなく、欧米人でも思い入れたっぷりの人がよくいます。

*2:単に「若気の至り」で馬鹿なことをしでかす人が来がちな国ということなのかもしれませんけど。またそういうことを煽る紀行文が多いのも事実です。

*3:じゃあ「その現実って一体どんなの?」という点については次回以降書いていきたいです。